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受け継がれた車

第一章 音の正体  クルマの音が気になり始めたのは、ほんの些細な違和感からだった。  低速では問題ない。だが、ある速度を越えると増えるノイズ。トンネルに入ると、妙に大きくなる「ゴー」という音。段差を越えたあと、少し遅れて聞こえる擦れた気配。  乗っているのは、古いセダンだ。  設計は海外向けで、当時は米国では高級車として売られていたが、日本ではそのままでは導入されなかった。  名前を与え直され、日本向けに仕立てられて販売された経緯を持つ。  重く、幅があり、いまの基準で見れば燃費も良くない。  派手な装備も、最新の電子制御もない。  それでも、直進安定性だけはやけに高く、速度が上がるほど落ち着く車だった。 「年式を考えれば、仕方ないです」  そう言われれば、それまでだった。  だがこの車は、単なる古さではない。   判断の結果として、ここにある車 だ。  簡単に役目を終わらせていい気がしなかった。  見積は重かった。  足回り一式、ショック、ブッシュ、関連部品。  全部直せば確実だが、その確実さには際限がない。 「一気にはやらない。フロントだけでいいです」  線を引いたのは、直感ではなく目的だった。  二年。二十五万円。重整備はしない。  腐食はある。固着は、外してみなければ分からない。  最悪の場合、途中で止める。  その説明を聞いたとき、不思議と不安はなかった。  この車には、 無理をしない前提 が似合う。  そう思えたからだ。 第二章 余分な緊張 「ボルト、問題なく外れましたよ」  引き取りの日、その一言で肩の力が抜けた。  切削なし。追加工なし。  アライメント確認。テスト走行済み。 「リアは?」 「フロントヘビーな車ですから。よほど気にならなければ触らなくていいでしょう」  それで十分だった。  帰り道、トンネルに入る。  あの音は出ない。  段差を越えても、遅れてくる擦れ音は現れなかった。  ハンドルは鋭くなったわけではない。  ただ、どこか柔らかい。  信号待ちで、ハンドルに伝わっていた微振動が消えていることに気づいたとき、  直したのは部品ではなく、 余分な緊張 だったのだと分かった。 第三章 渡すということ 「これ、まだ乗っていいの?」  免許を取りたての子どもが、少し緊張した顔で言う。 「いいよ。ぶつけても怒らない」 「ほんとに?」 「人に怪我さ...